鈴鹿のビックリイリュージョンショー!


        これは、僕が大学を休学して北大を受けるために勉強していた頃の話です。
勉強をしていたと言いつつも、僕は高校時代のサッカー部の友人とF1を見
に三重県は鈴鹿サーキットまで遥々やってまいりました。(埼玉から)

ちなみに、鈴鹿までは池袋駅の近くから高速深夜バスで一本で行くはずだった
のですが、僕らは集合場所を間違えてしまったので、待てど暮らせどバスは
来ませんでした。西武バスに乗ることは分かっていたのですが、バス自体が
一台も来ません。かなり不安にさいなまれている所に向こうから西武バスが来ま
した。しかし余裕で僕たちのことをスルーして行ってしまいました。

これを逃したら、鈴鹿に行けない!と思った僕は、池袋駅東口前の中央分離帯
を爆走
しました。そしてなんと!バスに追い付きました。そして走行中のバス
のバックミラーにジャンプしてしがみ付き、

          「のせてくれー!!」

と絶叫してバスを止めたのです。
やった!これで鈴鹿に行ける。と思いましたがこのバスはなっなんと。
鈴鹿行きではなく名古屋行きでした。
なんとも傍迷惑な話です。しかも聞く所によると鈴鹿行きはとうの昔に無事
出発してしまったらしいのです。

なんとか運ちゃんに頼み込んで補助席にもっさい男3人、乗せてもらいました。
そして、途中のドライブインらしきところで鈴鹿行きのバスを発見して無事
乗ることができたのです。しかしこのバスも実は僕らの本来乗るバスでは
ありませんでした。また運ちゃんに頼み込んで補助席にもっさい男3人・・・。
こーして、無事僕らは鈴鹿サーキットに到着しました。

さてさて
僕らは、テントを持っていったので、テント暮らしをはじめました。って話は
どうでもよいのです。ながながと前置きをしました。さっそく本題に。
   (前置きだけでネタになっているかもしれませんが・・・)

サーキットに行くと物凄い人でした。当然トイレも物凄い人でした。簡易トイレ
が丘(坂?)の上に設置されていまして皆さんその頂上のトイレ城を目指し行列
を形成しています。図でかくとこんな(↓)感じです。





そして、この坂道で僕もトイレ待ちの行列に参加してました。そして後2人で
僕の番になるっ!と言う時に、もーっビックリ事態が発生したのです。

なんと、簡易トイレのドアが中の使用人の許可を得ずに勝手にクァーっとパカーッと
開いたのです。そしてその中には!!



    


    


今まさに、うんうんがお尻からリリースされようとしている瞬間でした。
しかも、傾斜がついている所でみんな待っているので、目線の高さで、その
ビックリ、イリュージョンショーが繰り広げられているのです。

そして、ざわざわとショーの観客がザワついたことにより、そのショーを引き起こし
ている本人も、この驚愕の事態に気付きました。しかしまだリリース最中なので
「うわぁ!!」 と叫ぶだけでドアを閉めることもできず、どうすることもできず、
そのままうんうんをリリースしてました。そしてその後拭く段階になってやっと
ドアを閉めて、このビックリ、イリュージョンショーに幕をおろすことが出来ました。

そしてドアが閉まると何処からともなくこのビックリ、イリュージョンショーに
酔いしれていた一同の間から謎の拍手が起きたのです。しかし彼はこの
拍手喝采?に答えることもましてやアンコールすることも出来ず
にその場からF1なみの速さで走り去っていったのでした。

F1よりも何よりも僕を楽しませてくれた、デビット・カッパーフィールドも真っ青な
「鈴鹿のビックリイリュージョンショー」の話でした。



高速石焼きいも


        これは、とても短い話です。僕が中学校のときにグランドで
部活をしていたら遠くのほうから

「石やーきーいもー。おいもー。早くしないと食べられちゃうよ〜」

石焼きいも屋の、のほほんとした声が聞こえてきたのです。

しかしこの後、驚愕の事実が判明しました!!

石焼きいも屋の車がドンドン近づいてきて、グランドからフェン
ス越しに見える所まできました。すると!!

この石焼きいも屋の車は、「石やーきーいもー。おいもー。」
なんて悠長な売り言葉を発しながら、

時速80kmぐらいの猛スピードで爆走しているのです!!

しかもその売り言葉が救急車のようにドップラー効果をおこしているのです。
こんな焼きいもの売り方はみたことがありません。
「早くしないと食べられちゃうよ〜」って誰が食べられるというのでしょうか? 

             焼きいも屋
                そんな急いで
                     何処へいく

                                     野人 



野人 VS 大将のおばちゃん


        僕の家の近くに大将というラーメン屋があります。今回はこの大将のお話です。

まず、ここには名物オバチャンがいます。そのオバチャンは、客の注文を
覚えられません
。覚えようという気がないとしか思えません。こんな話が
ありました。僕がサッカー部の友達と7人ぐらいでこの大将に行きました。
するとオバチャンは、いきなり

おばちゃん:「注文覚えられないから、1、2種類にしなさい。」

と、客の食べるものを限定させるのです。とても客商売の店とは思えません。
しょうがないで僕たちは

僕:「じゃぁ 全員2番セットで。」

と言いました。ちなみに2番セットはチャーハンと餃子です。

         10分後くらい・・・

オバチャンが運んできました。しかし!!このオバチャンは

おばちゃん:「ハイ!学生ラーメン!」

と僕らのメニューを1種類に限定させたにも関わらず、間違えて持ってきた
のです。しかも全然似ても似つかないメニューを・・・。
そして、僕が

僕:「オバチャン、俺らみんな2番って言ったじゃん。」

と言うと

おばちゃん:「あら、そうだっけ。じゃあ他のところか」

と言い学生ラーメンを持って店内を

おばちゃん:「ハイ、学生ラーメンの人〜」

と探しはじめたのです。
しかし店内には誰一人学生ラーメンを頼んだ人はいませんでした。
するとこのオバチャンは、その学生ラーメンを手に持ちながら

おばちゃん:「ハイ、しょう油ラーメンの人〜」

と、しょう油ラーメンを注文した人を探しはじめたのです。ちなみに
学生ラーメンは¥350でしょう油ラーメンは¥500です。内容も違います。

それなのにこのオバチャンは、平気で学生ラーメンをしょう油ラーメンとして
食べさせようとしているのです。なにやらオバチャンの手の中で学生ラーメン
がしょう油ラーメンに変わってしまったらしいのです。

しかし!!いくら店内を探してもしょう油ラーメンを注文した人もいませんでした。
さすがにおばちゃんも

「ハイ、みそラーメンの人〜」

と言う勇気はなかったようで引き下がってしまいました。
いやぁ是非とも見つかるまでラーメンの名前変えていって欲しかったです。
しかしどこからどうやって注文とって来ているのでしょうか?不思議です。

  まだあります。今度も僕らが朝一で部活を終えて開店直後の大将にいった
時のことです。取りあえず、僕はチャーハンを注文しました。するとしばらくし
て厨房の奥からヘンテコな声が聞こえてきます。

おばちゃん :「あれっ、塩を先に入れんだっけ?」

あのおばちゃんの声です。最初は僕にも良く意味が分かりませんでした。しかし
しばらくして大将の料理人がやってきて厨房に入っていき、下記のようなやりと
りがあって、この発言の意味が分かったのです。

料理人   :「オイ、何やってんだ!!」
おばちゃん :「チャーハンを作っているの。」

料理人   :「何でお前が作ってるんだ!」
おばちゃん :「だってお客待たせちゃ悪いと思って・・・」

料理人   :「だってじゃねーよ。おまえ作り方知らねーだろ!」

そうです。オバチャンは開店したばっかりでまだ料理人が来てなかったので代わりに
料理をはじめてしまったのです。しかし開店しても料理人が来てない店って・・・
そして来てないのに勝手に作り出すとは・・・。 

 まだまだあります。先輩が大将にいったときに、ラーメンを注文しました。
そしてオバチャンがラーメンを運んで来たのですが、がっつり親指がラーメンのス
ープに入っていた
のです。まぁ良くはないけどたまにはある話ですが、やはり他人
の指がスープに入っているのは気分のいいものじゃありません。そこで先輩は

先輩   :「おばちゃん!スープに指はいっているよ!」

と言うと、オバチャンは、

       

おばちゃん:「大丈夫。熱くないから。

と予想もつかない答えを返したのです!誰もおばちゃんの指を心配しているわけでは
ありません。それなのにこのおばちゃんときたら・・・。      さすがです。

ファーストフードやコンビニなどマニュアル通りの応対に慣れている僕たちにとって
大将のおばちゃんのアナーキーでメチャクチャな応対は、ある意味貴重であります。


野人 VS 魔の23



        皆さんが普通不吉な数字と言われて連想するのは「4」「9」「13」
といったところだと思います。僕も昔はそうだったんです。しかしある時を
境にその数字は「23」になったのです。

 その23にまつわる話を書かさせて頂きます。それは今をさかのぼること
8年ぐらい。中学3年生の時です。中3の6月のある日僕は激しい腹痛に襲
われました。けっこう痛みは我慢してしまう方なので、一日経てば治るだろ
と思いホっておきました。

 翌日。痛み発生から2日目。
激痛です。歩くのも辛いです。一時間目を終えた時点でかなりの吐き気をお
ぼえトイレでもどしてしまったのです。これはイカン。保健室だ。

と思いさっそく保健室へ行きました。その頃から丈夫なことでは誰にも負け
ていなかったのを保健室の先生も知っていたので、保健室に行ったら

僕 :「先生。はっ腹が痛いんだけど・・・」
先生:「あー大丈夫。風邪。風邪。寝てりゃ治るよ。」

という展開になり、取りあえず寝てました。でも痛みは一向に良くなりません。

 翌日。痛み発生から3日目。
ものすごい激痛です。歩くのすらキツいです。何をしていても苦しいのです。
でも何故か学校大好き人間だったので、学校には来てしまっています。
もう駄目だ。と思い再び保健室へ。

僕 :「先生!すげーいてーよ。」
先生:「大丈夫。大丈夫。取りあえず寝てな。」(なんの根拠もなし)

学校を早退すりゃいいのに取りあえず寝てました。そして学校が終わったと同時
に帰路に着いたのですが、この時点では物凄い激痛で、前かがみで腹をギュッと
押さえていないと歩けません。しかも友人にチャリンコを借りて、徒歩でも2分
で着く家まで、死にそうになりながら5分ぐらいかけてたどり着いた
のでした。

そして家について苦しんでいると、母が帰ってきて

母:「あら〜ずいぶんと痛そうね。医者行く?」
と言うので連れて行ってもらいました。そしてこれまた病院の待合室で死にそう
になりながら延々と待たされました。そしてやっと僕の番が来ました。

お医者さんは僕の腹を触るなり

医者:「こりゃ 盲腸だね。はい手術。」

と言いました。そして一時間後には僕はもう、まな板、いや手術台のうえで、腹を
サバカレていたのです。全身麻酔ではないので意識があり話すことができます。

医者:「何か言いたいことある」(僕の腹をかっさばきながら)
僕 :「盲腸見たいので、終わったら取っておいてください。」

医者:「はい。はい。他に何かある?」
僕 :「ちょっと気持ち悪くなって来たんですけど」

医者:「大丈夫。今、腸引きずりだして切ってるところだから。」
僕 :「・・・。(この発言を聞いて、更に気持ち悪くなった。)」

医者:「こりゃひでーな。あと3時間遅かったら爆発してたな。
    そしてら一ヶ月ぐらい入院だったよ。」


なんてやりとりが手術中にかわされていました。しかし保健室の先生を信じたばかり
に危うく一ヶ月も入院する事態になりそうでした。そしてこの入院した日が

             6月の23日でした。

ちなみに、1週間入院して退院した次の日が中間試験だったのですがそのことを
知らずに学校に意気揚々と行ったのでいきなり試験がはじまってビックリしました。

 そして中間試験もおわり中3の7月にサッカーの大会がありました。3週間まえ
まで入院してたのですが、最後の大会だったので無理をして出ちゃいました。

試合はけっこう白熱してきて当たりも厳しくなってきました。そんなときは、僕は
相手からボールを奪ったのですが、その相手が何故か、僕に倒れかかってきました。
そして僕は彼になぎ倒されました。しかし審判はファールをとってくれなかったの
で起き上がってボールを追おうとしたとき相手のプレーヤーの全然関係ない奴が何
故かイキなりスッこけて僕たちの上に飛び乗ってきたのです。ちょうど起きようと
手をついた所に人2人分の体重が飛び乗ってきたので僕の手はタマラズ「ポキ」っ
と折れて
しまいました。しかも3ヶ所ぐらい折れて手がブラブラあらぬ方向にまが
っています。

そして途中退場し、そのまま病院へ直行でした。そして僕が連れて行かれた病院は
盲腸で入院した時と同じ病院でした。そして整骨の手術がはじまりました。

医者:「あれなんだ君か。この間盲腸で入院したばっかりの。また来たの?」
僕 :「ハイ。今度は骨を折っちゃいました。」

医者:「今日も部分麻酔で行くから」(といわれ脇の下に注射された)

        ガキッ ボキッ  (手術の音)

僕 :「痛ててててて。先生。麻酔効いてないんじゃないっすかぁ?」
医者:「おっかしいなぁ。ハイじゃあコレ酸素ね。」

といわれ酸素マスクの様なものをかけられました。

医者:「1。2。3。」
僕 :「グー。グー。グー。」

そうです。酸素っていったのにあの医者は全身麻酔の薬を僕に吸わせたのです。
そして見事3秒しか意識がなく、僕は深い眠りに着いたのでした。
そして手術がおわり病室に運ばれて行く時には、もう既にギブスが装着されていました。
しかしビックリしたのはここからでした。病室に運ばれて行ったときです。

誰かが僕のベットで既に寝ているのです。驚いた看護婦が看護主任を呼びに行こうと
した時!母が、驚いて何かに気付きそして恥ずかしそうに

母:「すいません。この子の父親です。」「あなた! あなた! 起きて!」

      

と言っているのです。コレには母ばかりでなく僕もとても恥ずかしかったです。
そしてこんな骨折&入院をしでかしてしまった日は、盲腸&入院のちょうど一ヶ月後の

               7月の23日でした。

なんとも23日は恐ろしく感じられました。翌月の8月23日はさすがに怖くて家を
一歩も出られませんでした。っとここで終わるのかと思ったらまだありました。

 それは、入院事件から4年後の僕が千葉大の1年生だった時の話です。僕は埼玉
出身で、千葉大学までは通って通えないことはなかったのですが、2時間近くかかるので
親には3時間かかると嘘ぶっこき、一人暮らしをはじめました。

 この時住んでいたのは、家賃3万2千円で、台所+4畳半+6畳+トイレ(風呂ナシ)
とバカでかいけれどもバカボロイ家でした。築40年という代物でした。表通りから
20mぐらいジャリ道を入ったところにある家なのに、表通りに車が走るとその度に
一々家は揺れてました。ちょっと強風が吹くだけでも物凄く揺れてました。とにかく
ボロボロでした。しかし東南の角部屋で合計6枚も窓があって、さらにこの年は異常
気象で酷暑だったので、学校から帰って来ると室内は軽く50℃を突破していました。

 さて家の説明は、程々にして23にまつわる話です。

ある日親戚の叔父さん2人から合格祝いとして計2万円送られてきました。そして僕
はその2万円を机の引き出しに入れて学校に行きました。学校に着いて財布を家に忘
れてきたことに気付きました。この日は教科書代を払うかなにかでお金が必要だった
ので家に取りに帰りました。そして家につき鍵を開け、財布をもって再出発しようと
してふと財布を除くとさっきまで入っていたお金がないのです!!

「なに!?」と思った僕は、入学祝いの2万円も気になり引き出しを開けました。

            奇麗にありません。

やられました。空き巣です。何てことだ。ちょっと一時間ばかしいなかっただけなのに。
しかもこんなボロアパートに住む、善良な学生から盗むとは・・・。
僕は早速警察に電話をして家に現場検証をしに来てもらうことにしました。

しかし、ふと部屋を見回すと物凄く汚いのです。そして僕は何を思ったのか「警察が来
る前に、部屋を大掃除しよう!」
と思いメチャメチャ掃除したのです。

そして警察が登場です。色々話を聞かれました。どこから何が盗まれていたか。など

警察:「で、こんだけ部屋を奇麗にしているあなたのことだからどっかに紛れて
    いるって事はないと思うから・・・」
僕 :「・・・。(っそ、そうだ事件後一番大事なのは現場をいじらないことだ!
        やべっ。掃除機までかけちゃったよ。)」


警察:「部屋にかえってきて変わっている所とかなかった?」
僕 :「いやぁ〜ちょっとわかんないっす。(ぎゃー。ヤベー掃除機もかけましたなんて言えねー。)」

警察:「しかし、本当奇麗だよねこの部屋。いつも奇麗にしてるんだ。」
僕 :「えぇまぁ。(うわぁ警察にめっちゃうそこいちゃってるよー俺。)」

警察:「で、結局幾ら盗まれたの?」
僕 :「えっと、2万円と財布にあったお金だから・・・。23000円です。」
    (ゲッ!2万3千円。またもや2と3の連番だ。)

とまぁ、本当の話ですが、「23」ではないので考え過ぎかもしれませんが
ともかくながながと「23」という僕にとって不吉な数について書かせてもらいました。

             ちなみに、僕は今、23歳です。

東大合格事件!?



       これは、今から3年も前の話です。それは、北大サッカー部が千葉で合宿
をするために、東京へ飛んだ時の話です。僕は友達と2人で羽田についた
その足で、東京見学をすることにしました。と言っても実家が埼玉なので
見物も何もないのですが、友達は北海道出身なのでその友達を案内したのです。

東京ドームなんて行ってみたら、ちょうどマライヤ・キャリーのコンサー
ト当日で、えらく混んでました。またダフ屋が物凄い数いました。そこに
サッカー道具満載でやってきた僕たちは、傍から見たらどう見てもコンサ
ートのために上京してきた田舎者チック丸出し野郎です。したがってもう
ダフ屋の格好の標的となり、彼らの視線が熱過ぎます。

それに耐えられなくなった僕らは、そそくさとその場を離れました。そし
て近くに何か有名なものがあったかな−と考えた末に東京大学に歩を向け
たのです。歩いて15分もすると東大につきました。すると何やら騒がし
いのです。時は3/10ぐらいの1時くらいだったと思います。この時期
に東大でマスコミを集めて行われるイベントは・・・・そうです!それは

東京大学合格発表!!


僕らは人の流れに身を任せ、歩いていくとそこには合格発表の掲示板があり
そこの前ではテレビで良く見る胴上げが行われているではないですか!すか
さず、僕はそこらで胴上げをしているボート部(だったと思う)に

「合格しましたー」


と伝えました。するとグアーと人が集まり、僕を取り囲み「名前はなんだ?」
と聞くので「山下です」と答えると「いい名前ダー」と全員で叫び、その後
「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」と万歳三唱をしました。そして
僕は彼らの鍛えられた肉体に持ち上げられて、空高く舞ったのです。これは
なんて気持ちよいのだ!!僕はくせになりその後も微妙に場所を変えてアメ
フト部やラグビー部
に何度も何度も胴上げしてもらったのです。しかも自分
でかなり盛り上げているので、合格発表開始から一時間ほど立ち沈滞ムード
だった発表会場を見事に盛り上げたので、カメラマンがグアーと集まり僕を
取り始めたのです。なんて愉快なんだ!たまらなく楽しい!

友達も2回ほど胴上げしてもらい、意気揚々と歩いていると今度は人の流れ
が、安田講堂の下へと向かっているのです。もう無敵の気分だったので何で
もしてやろうとと思い、僕は安田講堂の下に入ったのです。するとそこでは

合格手続きをしているではありませんか!


さすがにチョットびびりました。この様な時は僕はいつも誰かに見つかると
「トイレを探していて迷った」作戦で切り抜けるのです。その術を持ってい
るので思い切って合格手続きの列の後ろに並んでみました。すると手続きに
は、当然のことながら受験番号を言わなくてはならないのです。もちろん番
号はないので、順番直前になって敵前逃亡しました。しかしタダでは逃げません。
逃げる際に、東大の合格者しかもらえない書類の入った袋をもらってきたのです。

これは、中に東大生協の案内とか入っていたり、新入生が学校に提出する書
類(重要な書類ではないと思われる)が入っていました。その袋は白地に青
色のデザインで、それを持っていると東大に合格した人というのがひと目で
わかります。そんなわけなので、その地下から出て来ると、サークルの勧誘
や何やら凄かったです。中でもうけたのが、当時やっていた上岡龍太郎の番
組でスタジオに50人ぐらい素人を集めて話を聞くという番組なのですが、
「今回は「東大新入生50人」なので出演してみませんか?」と声をかけら
れたのです。これにはさすがに出演できないだろうと思い辞退いたしました。

更には、東大赤門を出てチョット行った所にある公衆電話の前でカメラマン
「家に喜びの報告している所を撮影したいのですが」と話しかけられたの
で快諾して、家に居る母に電話しました。トゥルルルー、カチャ
僕「もしもし、お母さん? 受かったよー!!」
母「何?何処に?」
僕「東大に受かったよー」
母「なにあんた、また大学辞めたの!?」<千葉大中退経験ありなので>
僕「じゃあ、今からかえるから!」
母「????」
ガチャ
と母にとっては100%理解不可能な電話をしたのでした。このようにマスコミ
にちやほやされて陽気に家に帰り、(合宿は翌日から)母に事情を説明しました。

そして翌日僕と一緒に胴上げされていた友達が驚いたように僕に報告をしたので
す。昨日の夜のNHKニュースを見ていたら、

「お前の胴上げシーンが見事に放送されていたよー!!」


トコトン日本のマスコミ及び東大関係者に迷惑をかけて遊ばして頂きました。感謝。


税関事件



        これは、一昨年タイから帰国した時の話です。僕は大韓航空で、ソウル経由で札幌(千歳)に
戻って来たのですが、その時の話です。僕は帰国の便が、たまたま大学の友人と同じ便だった
で、一緒に戻ってきました。しかし、飛行機の席がかなり離れていたので、入国審査は先に終え
税関の前で友人を待っていたのです。今から思えば税関も出てから待っていればよかったので
すが、その時は何故か税関の前で待っていたのです。しばらく待ったのですが、友人はなかなか
やってきません。暇なので税関の所をブラブラしながら待っていたのです。10分ほどして出て
きたので「さあ、税関を出よう」と思った時でした。今迄税関で止められたことなかったのです
が見事に「チョットいいですか?」と止められ、友人は別のところに連れて行かれてしまいました。

そして、「バックの中調べますよ」と言われ、バックを開けられて、ビニール袋とかにしまって
あった、下着やお土産などひとつひとつ調べられました。本も一ページ一ページ調べられ、しま
いには、目覚まし時計の電池の中まで調べられてしまい、完全に容疑者扱いです。そして友人も
別のカウンターで、「あの男(僕)に何か渡されなかったか?」と聞かれているのです。また、
「あいつとはどうゆう関係だ?」とかも聞かれたらしいのです。確かに税関の前でウロウロして
いて、人が来たらその人と一緒に出ようとしたら怪しまれるのはしょうがないかもしれません。

税関職員は僕の荷物を全て出してクマナク探すのですが、何も出てこないのでかなり御機嫌斜め
です。そして一言「おっかしいなー?」。なんだよ、出てこないよおかしいのかよと思いました。
普通出てきた方がおかしいんじゃないの?とも思いました。そんなこんなで僕は、20分くらい
税関で足留めをくらい、僕が調べられている横を皆するりするりとおり過ぎて行くのです。

そして職員はとうとう諦めて「ハイ、行っていいよ」というのですがそこには、彼の手によりバ
ラバラにされた僕の荷物がありました
。散々弄んで捨てられた気分です。「何?元に戻してくれ
ないの?」と思いましたが、それを口にすると更に虐められそうなのでグッとこらえました。

そして、見事に?税関を通過してあまった$を¥に再両替しようと税関出口の横にある銀行に行っ
たのです。するとあの税関職員からたれ込みが入ったのかどうかわかりませんが、そこの窓口の
おっさんがいきなり「これ偽札じゃないだろうな?」と横柄な態度で言うのです。これには切れ
そうになりましたが、問題をおこすのがいやだったので「違いますよー」と言ったのですが、信
じてもらえず、そのお札は、偽札発見器みたいのに通されていました。しかし結果はシロ。

偽札ではありませんでした。しかしそのおっさんは、なんでか知らないのですが、5、6回その機械
にお札を通して
ました。もちろん結果はシロです。そしてめでたく¥に両替となったのですが、
かなりそのおっさんも納得いっていないようでした。なんなんだ?何処からかたれ込みが入って
その要注意人物を僕と間違って捜査したとしか思えません。とても気分を害しましたがネタ的に
は面白かったのでまあ良しとしましょう。