食中毒原因不明未遂事件


        これは、今年(1999年)の4月の出来事でした。僕は学科の研修旅行
なる企画で、学科の同輩と共に広島から東京まで7社の企業見学をした
のです。

 この研修旅行は、学科のOBがいる企業を廻り、工場や研究所の見学
をして、夜はOB(会社)のおごりで飲み会が繰り広げられるというな
んともおいしい企画なのであります。しかも宿泊代も出してもらえます。
というわけで、人のお金で一週間の大名旅行が体験できる素晴らしい企
画なのです。こんな企画は一生に一回かもしれません。

 しかしこの旅の2日目の夜、異変が起きたのです!

突如、嘔吐をする人が続出し出したのです。そして翌日の朝食には10人
いる参加者のうち3人ぐらいしか姿をあらわさなかったのです。
これは、完全に食中毒の症状です。しかし、一緒に旅行しているわけな
ので、当然皆一緒のものを食べているのです。なぜ、体調を崩す人とそ
うでない人がでてきたのでしょうか?不思議です。

さて、食中毒になった人の体調はすこぶる悪く、移動中の電車の中で
もどしたり、駅の床にへたり込む人もいました。
本日の企業の人は、そんなことは露知らずなので、豪勢な飲み会を用意
してくれています。しかし、大多数が体調が悪く、結局病院に担ぎこま
れていってしまいました。

しかし僕は、そんな修羅場とは一切関係なく多数のOBに囲まれて違う
修羅場を味わっていたのです。僕の場合は飲みすぎによる嘔吐を繰り返
していました。

さて、病院から帰ってきた同輩は「食中毒の原因がわからなかった。」
と言っています。最初は、昨夜の夕食で出されたすき焼きについていた
生卵かと思われたのですが、それは全員が食べてます。

それでは、原因は一体なんなのでしょう?

これでは食中毒の原因がわからず闇に葬り去られてしまいます。
そこで一生懸命考えた結果、以下のような結論が出ました。
それは、夕食後の出来事でした。僕らは企業から出されたおつまみとお
酒の残りを部屋に持って帰り、部屋飲みをしていました。
そしてその時に食べていたものを逐一思い出して行きました。すると
腹を壊していない3人のうち2人がイカの珍味を食べていない事が判明
したのでした。そしてそれ以外の人(食中毒になった人)は全員イカ珍
味を食べていたのでした。

そして、その食べたくせに食中毒にならなかったのは、
やっぱり?こいつ↓でした。


と言うわけで、全員納得の上で食中毒の原因は「イカ珍味」ということ
になったのでした。ちなみにこの後、このイカ珍味が全国で食中毒を巻
き起こし、結構なニュースになっていました。

しかし、僕はといえば、3人でイカ珍味を囲み、がっつり食べていたの
でした。そしてその内2人はその日の夜、早々に激烈な嘔吐を繰り返し
一睡も出来なかったようなのです。僕はそのことに一切気付かずに爆睡
し、朝からご飯を3杯もたべていたのでした。

この事からも?、食べた量と症状の重さから原因は絶対にイカ珍味だと
断定されたのです。僕の存在は一切無視されてしまっていますが・・・・
(ある意味考慮されているかもしれませんが・・・)

その後も皆の羨望の眼差しを一身に浴びながら、暴飲暴食を連日繰り
返し大いにバカ殿旅行を謳歌したのは言うまでもありません。


鈴木先生


       これは、最近行われた(99/11/12)セミナーでのお話です。
僕が研究している分野のセミナーで、アメリカから教授を
2人呼び、(その筋では超一流)結構立派な会場を借りて
行われたセミナーでした。

一般人の参加は2000円でしたが、学生はタダでした。
このセミナーには、他大学はもとより、様々な企業の人が
参加していました。しかし会は、初っ端からオイオイ状態
です。それは、開会の挨拶をした人が、挨拶が終わると
っそうと会場を後にしてしまった
のです。誰もが見ている
のにも関わらず。

 そして会が始まりましたが英語での講演でしたので通訳
がその都度日本語に訳すのです。しかし英語を聞いただけ
アレルギー反応が出るのか、参加費を払っている人々に
居眠り者続出。そして、1人目の講義が終わり、質問タイム
となったわけですが、ナニブン相手は外人なので、司会が

「どなたか質問はございませんか?」

と聞いた瞬間に一斉に皆が顔をそらし、下を向いたのです。
その様はまるで、小堺一機に吹き矢で吹かれてカクッと
なるコントのようでした。この「質問を・・・」という言
葉に皆さん首の筋肉が弛緩してしまったようでした。

あまりにも皆が同じ行動をとったので、見ていた僕は、こ
れはネタ合わせでもしているのでは?と思ったほどです。
そして案の定、質問をする人は出てこなかったので、司会
の人が困った挙句に、「では私から・・・」と苦し紛れに
質問をしていました。

さて2人目。こちらは、アメリカでお世話になった軍曹の
ような教授です。そして、彼の講演の時にも同じような現
象がおこり、そしてやってきました。質問タイム。

今回も司会が「どなたか質問は・・・?」と言った瞬間に
会場全体に、「頼む誰か質問してくれー」と言う他人頼み
の雰囲気が流れましたが、誰も質問することなく皆、
最終電車で泥酔したオヤジのように首ももたげて、下を見
たままだったのです。そして今回も司会の人が、苦し紛れ
「じゃー私から」と先程とほとんど同じ内容の質問をし
たのでした。司会の人がとても哀れでした。

さて、3人目は日本人が講演をしたので、皆さん今度こそ
は質問するのだろうと思いきや、時間がなくて質問タイム
が取れませんでした。

そして会の最後には3人の講演者を前にして総合討論のコ
ーナーが設けられたのです。そして、司会の人が

「それではここからは工学研究科の鈴木先生お願いします。」

と言ったのですが、誰も出てきません。司会者が

鈴木先生、司会をお願いします。」

と再度呼び出したのですが、誰も出てきません。と言うわ
けで、司会が

「それでは、私が・・・」

と苦し紛れの急場しのぎの、司会を続行が決定してしま
ったのでありました。そしてこの討論もまた盛り上がらな
いことこの下なし。誰も質問しないので、またもや司会
「じゃー私が・・・」と無理やり質問をする始末。

しかも、この討論の最中に帰り出す人がちらりほらり。
いったい何なのでしょう?まさに典型的なジャパニーズ
を見させてもらった4時間でした。

会が終了後、司会の人の所に行き、

「鈴木先生はどうしたんですかねー?」
と聞くと
「俺もみたことないんだよねー」

と言う意外な返事が返ってきたので、他の先生方にも
色々聞いたのですが誰一人として、鈴木先生なる人を知って
いる人はいませんでした。

誰だ?一体?もちろん鈴木先生が誰なんだ?とも思いますが
誰もが知らない鈴木先生を討論会の司会に任命した
勇者は一体誰なのかと言うほうが気になりました。