ビーチにまつわるエトセトラ


       突然ですが

やじん風優雅なビーチの過ごし方
(ひとつひとつ目を閉じて想像しながら読んで下さい。)

        ↓

・ 朝は小鳥のさえずりに起されて爽やかに目覚める。

・ その後、やや明るくなりつつ明けの空の下、誰もいない
白砂のビーチをのんびりのんびり散歩する。聞こえてくる
のは自分の踏みしめる砂の音と波の音のみ・・・

・ 散歩の途中で、海面を真っ赤に染めながら輝き昇る朝日を眺め
優雅な一日が始まりを思ふ。

・ しばらく散歩して宿に帰り、朝食を食べる。
聞こえてくるのはさざ波の音のみ・・・

・ 食後のコーヒーをゆっくりと飲みながらビーチで戯れている
犬を見て微笑む。聞こえてくるのは打ち寄せる波の音のみ・・・

・ ゆっくり一時間ほどかけて朝食を済まし、一度自分の部屋に戻る。

・ お腹も満たされたところで自然と眠気に襲われて、2度寝をする。
誰にもじゃまされず、何にも追われることのない自由な時間。

・ しばらくすると自然に目が覚め、水着に着替えて軽く泳ぐ。

・ ちょっと気だるくなったところで、ビーチパラソルの下のイスに
深々と腰をかけ、持ってきた本に目を通す。

・ 気がつくと昼になっていたので、昼食をとる。
白砂のビーチの上にテーブルとイスがあり、裸足になり白砂の感触
を味わいながらゆっくり時間をかけて食べる。おこぼれをもらいに
来た犬にもおすそわけをする。

・ 昼食をとったらまた眠くなってきたので昼寝をする。
BGMには波の音・・・

・ 昼寝から覚め、再度海で泳ぐ。のんびり甲羅干しをしたり海に入った
りを繰り返す。そしてまたイスに腰かけ本に目を通す。

・ 気がつくと、人影もまばらになり、空は夕焼けで橙色に染まり始めて
いる。そのまま、ぼーっと海に沈む夕日を眺める。海はパレットを
ひっくり返したかのように複雑にしかし鮮明な色に染まり全てのも
のを輝かせている。

・ 夕日も沈み空も青色が濃くなり始めた頃、夕食を食べに行く。
よく冷えたビールを飲みながら、黒に染まった海から聞こえてくる
波の音に耳をすませ、食事が出てくるのをまつ。

・ 食事が出てきても、急いで食べずに、のんびり時間をかけて食べる。
一時間ほどかけて食べた後、日記を綴る。

・ 日記を書き終え、夜のビーチを散歩する。遠くのビーチにある
レストランの光が、まるで星が輝いているようにみえる。

・ ふと空を見上げると、満天の星空が自分を包みこんでいてくれたこと
に気がつく。このまま吸い込まれていきそうだ。

・ ビーチに腰を降ろし、目を閉じ、打ち寄せる波の音を聞く。
再度目をあけた瞬間に、流れ星が落ちていくのみる。

・ なんて穏やかなんだろう。そう思いながら、誰もいない海に向けて
ハーモニカを吹く。聞こえてくるのはハーモニカの調と波の音。

・ 世間の争い事を全て忘れさせてくれる穏やかな時間の流れ・・・

こうして島の一日は過ぎていくのでした・・・。

どうですか?ビーチに行きたくなりませんでしたか?
こんなことを海とは、ほど遠いラオスの山奥の町バンビエンで
シェイク屋で出会ったばかりの旅行者に話していたら
自分の頭の中がかなりビーチモードに切り替わってしまいました。

しかし切り替わっていたのは僕だけではなく、話を聞いていた彼も
僕以上に切り替わっていたようで

「ビーチ行きますか?」

と言ってきました。僕もすっかり自分の言葉に酔っていたので

「行っちゃいますか!!」

とかなりノリ重視な発言をしてしまいました。
今回の旅ではビーチには全く行く予定はなかったのですが・・・

彼に至っては、上海in上海outのフェリーチケットを持っているの
にも関わらず、しかも帰国予定日が過ぎているし、必ず帰国しなくて
はならない日まで、10日くらいしかないのにも関わらず、
まだ南下する気です・・・。

そうして、翌日朝5:30に例のバスに乗りビエンチャンに戻り
速攻でタイに渡り、その夜の夜行列車に乗りバンコクへ。
翌朝7時にバンコクについたその足で旅行代理店へ行き、8時に出発
するサメット島行きのチケットをごり押しで入手。

8時にバンコクを出発し、14時に念願のビーチ(サメット島)に
着いたのでした。

ラオスの山奥で「行っちゃいますか!!」と言ってから48時間後。
移動時間、33時間・・・。移動距離約800km・・・。

かなりの強行軍でした。
しかもこんなに頑張って来たビーチは雨季真っ最中で無情の雨・・・

夕焼け? 雨で濁った海面とどんより雲が空を覆う夕刻でした・・・。
満天の星空? 一晩中雷を伴う大雨、降りまくりでした・・・。
朝日? 移動疲れで爆睡し、起きたらもう日が高かった・・・。
兎に角、全てが裏目でした・・・。
しかし、あんなに頑張って来たので、雨が降っていようがお構い
なしに僕は狂ったようにビーチで遊んでいました。

タイ人とサッカーをしたり、ビーチを無意味にダッシュしたり・・・
それはそれでかなり楽しかったのですが・・・

あまりに弾け過ぎたのか、夜ビーチを散歩中にビーチパラソルを立てる
支柱の存在に気がつかず、豪快に支柱を蹴り飛ばし

スネから出血をしてしまったのでした・・・

   
本来はこうなるのだが夜なのでパラソルがなく    ↑だけだったので気が付かなかった・・・


てなわけで
全くもって穏やかな時間の流れとは無縁の世界でした・・・

しかもあんなに頑張ってきたのに、旅行期間の関係から、僕は
1泊2日でこの島を後にしなければならなかったのでした・・・
移動時間33時間島滞在時間20時間・・・。

なにかが大いに間違っている気がしました。

しかしそもそも旅の最初でこれ以上ないくらい間違いを起してしまった
のでもうどうとでもなれって感じでした。

ちなみに下に今回の旅行の日程を載せてみました。


1日目 飛行機でバンコクに着き夜行列車でタイ東部の
    ウボンまで(多分500km)

これは予定通りの行動でしたし、夜行列車で快適そのものでした。

2日目 ウボンからラオス国境まで(約100km)
    追い返されてウボンまで(約100km)
    合計200km

ここで(実質旅初日)大トラブル発生・・・

3日目 ウボンからカオプラウィハーンまで往復(約200km)

4日目 ウボンからバスを乗り継ぎ乗り継ぎビエンチャンまで
   (多分500km)


5日目 ビエンチャンで初めて移動なしの日を過ごす。

6日目 ビエンチャンからバンビエンまで(約100km)

7日目 バンビエンからビエンチャン経由ノンカイ(タイ)まで
    来てさらに夜行列車でバンコクへ(約650km)

8日目 バンコクからサメット島へ(約150km)

9日目 サメット島からバンコクへ(約150km)

10日目 あっさり帰国・・・

総陸路移動距離約2500km・・・
予定していた移動距離は1300kmくらいなので、およそ2倍。

乗り物に乗っていない日は、たったの1日という
アメリカ大統領もびっくりのハードスケジュールでした。

そして思い描いていた
優雅なビーチの過ごし方とは175度ほど
対極に位置した
おバカの手本のようなビーチの過ごし方
をしてしまったのでした。



こぞう違い


       これまた、ラオスではなくてタイで発見したのですが、このラオス
旅行の一環としてだったので、ラオス編に書きました。

バンコクには日本人が沢山住んでいて、日本食のレストランも沢山
あります。そこで僕が発見したのは、
「こぞう寿司」
です。
普通の小僧寿司って感じですが

ここのこぞうは



てな感じで、小僧ではなくて子象でした・・・

下手な詐欺です。こぞう寿司と聞けば、日本にあるチェーン店を
浮かべることでしょう。そこで子象をもってくるとは・・・・。

ウソでもいいから姉妹店っぽく尼僧寿司とでもすれば良いのに
子象にしてしまったために100%パクリとわかってしまうの
でした。って尼僧でもだめか・・・


ラオス出国後に・・・


        ラオスからタイに戻り、日本に帰る日が来ました。
あっという間の小旅行で、まだ帰る実感が沸きません。

その昔は、帰りの飛行機を誰かがハイジャックして
どっか違う国に連れっていってくれたら、
旅行が続けられるのに 
なんて不謹慎なことを考えたりもしてました。
しかし、今回はそんな想いとは、南極北極ほど離れた
気持ちでの帰国便搭乗でした。

僕は帰国便のチケットを握り締め、チェックインに
行きました。ちょっと早かったのでまだカウンターが
開いてなく、列にならんで待っていました。
僕の前には中東風の男性2人組だけでした。

さて時間が来てチェックイン開始。
前が2名だけなので、さっさとチェックインできるだろう。
と思っていたのですが・・・
何故僕はいつもいつもこうなのでしょう。

いきなりもめています。隣の列がするするとチェックイン
していくのにもかかわらず、僕の前の中東2人組は、大声
を張り上げてカウンターの職員と大モメです。

いったい何をもめているのか耳をすまして聞いてみました。
すると、聞こえてきたのは

職員「このチケットはバンコクー大阪までは有効だが
   その直後にあなたたちが飛ぶ大阪ーソウルは無効よ」


なんて内容なのです。すると中東2人組は

男 「そんなはずはない!そのチケットは使ってないぞ!」

なんて返答しているのです。すると職員は

職員「この大阪ーソウルは、使われていないが搭乗日が既に
   過ぎています」


みたいなことをいっています。
そんなかんじでモメにモメて全くもって動きません・・・・

ただ動かないだけならいいのですが、会話の内容がなにやら
不穏すぎます。

なぜ、ソウルに行くのに大阪経由で行くのでしょうか?
しかも大阪ついて速攻で。さらにチケットが未使用だったり
するのも変です。

しまいには彼らは、パスポートをチェックされ取り上げられ
別の場所に連行されていってしまったのです・・・

この現場を目の前というか鼻先で、目視&指差し確認して
しまった僕は、僕の旅史上最もどきどきしながらのフライト
をしなければなりませんでした。

あの中東2人組が、搭乗したかどうかは確認できませんでし
たが、
「もし、荷物に爆弾とかしかけてあったら・・・」
と思うと、普段は好きな離陸も気が気ではありませんでした。

飛行機が微妙に揺れるだけでも ハッ としてしまう始末。
さらに追い討ちをかける、機内上映映画は織田裕二主演の

「ホワイトアウト」

この映画は、テロ組織対織田裕二の映画でドッカンドッカン
言いまくりの映画でした。

タダでさえびびってるところに、映画の音声で爆発音なんて
流れた日にゃ・・・・

廻りで楽しそうに鑑賞しているカップルやとなりでおやじ
シャツに着替えて酔っ払って幸せそうに寝ているおっさんが
うらやましく思えました。

彼らはあの一連の騒動を見ていないからこんなに余裕なので
はないだろうか・・・

そんなこんなでバンコクから関空までのフライトは5時間も
一人だけドキドキしながら乗っていたのでした。

ですから無事着いたときには、かなりほっとしましたし
朝の5時半なんて中途半端な時間に着きやがるもんなので
千歳行きの9時半まで4時間も空港内で過ごさなければ
なりませんでした。

小心者の僕は、結局昨晩のフライトでほとんど寝られなかった
ので、関空ー千歳の飛行機に乗った時は、のび太状態でした。
(のび太状態=目を閉じると3秒で深い眠りの世界の住人)

僕の席は16Aで窓際でした。颯爽と席について離陸前から
寝ていました。すると、北海道への修学旅行生の団体が
入ってきて「ぎゃーぎゃー」騒いでいます。

うるさいなーと思いながらも、目を開けてその騒動を確認する
気力はありません。目を閉じたまま聞いてました。

すると学生が先生に

学「先生。私の席がありません!」

と訴えています。僕は心の中でおいおいしっかりチケットと
照らし合わせて探せよー とつぶやいていました。
すると先生が

先「ほんとだなー おかしいなー」

と言いながら探し出した様です。いいかげん気になったので
目をあけると、先生と生徒がチケットの半券を手に席を探し
ています。

先「おかしいよなー 18Aだろー」

といいながら探しています。
僕は16Aで後ろには17Aの外人がいます。その後には
18Aの多分出張であるだろうサラリーマンが・・・

ここで先生が外人に、なにやら話しかけています。
外人は日本語がわかっていなかったので、僕は

僕「オレが16Aで、あんたは17Aなんだろ?
  あんたはあってるよ。気にすんな」


って言ってあげたのです。恐らくサラリーマンが間違って
いるのでしょう。と思ってのですがサラリーマンは

サ「僕は19Aだよ」

と言い出すのです。



も・し・やーっ!!
と思い僕は前を見ると僕の前の席は豪快に空席です。
そして隣の人のチケットは17B・・・

そうです。ことの元凶は僕なのでした。それを外人を撒き込み
お前はあってる なんて豪語していたのですが
その外人に間違いを引き起こさせたは僕なのでした。

それに気が付いた瞬間、
僕は忍者はっとりくんの如く裸足で背もたれをまたぎ
17Aから16Aに飛び移り、後は廻りの罵詈雑言を聞かない
フリして目を閉じて寝たふりを決めこんでいたのでした。

その後、後では外人が18B、Cの横二人にどいてもらって
席を出てさらには17B,Cの人にもどいてもらって17A
の席についていました。

その後、その外人の抗議の 僕の席の背もたれへの膝蹴り
続きましたが、僕は一切振り返らずに札幌まで狸寝入り
するのが精一杯でした。

その後、喉が乾いていたので、機内サービスで何か欲しかっ
たのですが廻りの白い目が不安で、スッチー相手にまで
意味なく狸寝入りをしていたのでした・・・