怒涛の闘病編です。

「何の?」

それは、これから読んでいって下さい。

    
  • (00/7/2更新)闘病日記そのT ベロを見た男
  • (00/7/3更新)闘病日記そのU 病院へGO!
  • (00/7/4更新)闘病日記そのV 手術台へGO!
  • (00/7/5更新)闘病日記そのW お見舞いへGO!
  • (00/7/7更新)闘病日記そのX 手術台へGO!2
  • (00/7/11更新)闘病日記そのY 早すぎる退院の真相
  • (00/7/13更新)闘病日記最終話 その後・・・
  • (02/1/20更新)闘病日記  再発・・・





  • 闘病日記そのT  ベロを見た男


         このとき、僕は、研究でアメリカにいました。
    といってもたかが一ヶ月の滞在でしたが・・・

    この研究生活は超ハードなスケジュールで、出発時の所持
    $が少なかったので、現地で銀行におろしに行きたかった
    にも関らず、銀行に行く暇がありませんでした。
    しかし、結局あまりに忙しくて使う暇が全くなかったので
    一月の滞在でプライベートで使った金額が5$くらいと
    超節約(不可抗力的)生活でした。

    また、僕の部屋の電気が壊れていて、一ヶ月の滞在で一回
    も照明がつかなかったのですが、帰って寝るだけだったの
    で、全く支障ありませんでした。

    そしてこの研究生活も残り3日ほどになり、忙しさのクラ
    イマックスを迎えようとしていた時でした。
    時間は、午前一時半、場所は大学の研究室・・・

    僕は、「あー疲れたー」と思い、向き合ってたパソコンか
    ら目を離し、遠くをみました。
    その視線の先には、一緒に頑張ってる先輩の姿がありました。
    しかし!!

    先輩が 妖怪人間のベロ になってます。



    顔が緑色になってます。

    あれーおかしいなーと思ってもう一回みると、今度はベロが

    北斗の拳のケンシロウに



    秘孔をつかれた状態になってました。

    この時、僕は「あー相当、目が疲れてるなー」なんて思いました。
    「まー寝れば治るだろう」てぐらいにしか考えてませんでした。

    そして、一応その日の研究がおわり、宿に帰って、何の気なしに
    右目だけで、物をみたら、異常なしでした。
    で、今度は左目だけでみたら・・・

    何も見えません・・・

    目が開いているのに何も見えません・・・

    さっきまでは先輩とかに「いつから顔、緑に塗ったんすか?」
    なんて冗談ぽく言っていたのですが、この視界0状態には、
    かなりビビって誰にもそのことを告げずに、不安な気持ち
    いっぱいでさっさと床についたのでした。
    しかしなかなか寝つけません。

    「明日起きて、両目見えなくなってたら、どうしよう・・・」

    とか不安がよぎりました。しかし気がついたら爆睡していて
    朝になっていました。人間結構図太いな と実体感しました。

    しかも朝一で視界を確認すると、それがまた嘘のようにクリア
    で、昨日の出来事はなんだったのだろうと思わせるほどでした。

    そしてこの日は研究最終日でした。研究も一応全て終わり
    ヘロヘロになっているときに、向こうの教授の好意で打ち上げ
    ということで、プールバーに連れていってもらいました。

    そしてビリヤードをしたのですが、どーも上手くボールを
    突けません。そこで、冷静になって左目だけでボールをみたら
    またもや白いはずの玉が緑色になっています。
    昨日のベロ事件は幻ではなかったようです。しかも、又もや
    宿に着いた頃には、左目の視界がなくなっていました・・・

    一晩寝てたら今朝は治っていたので、これは絶対、疲労性の
    ものだと思ったのでこの日も爆睡こいておきました。

    翌日、イリノイの片田舎を引き上げ飛行場のあるシカゴに
    向かいました。この頃になると視界はもう絶不調・・・

    そこらの駐車場で横に止まった車のドアがショットガンで
    打たれてボコボコ穴があいているように、見えたので
    「うわー 目かなりやばいなー ドアがボコボコにみえるー」
    と言ったら、
    「あれは、本当にボコボコにあながあいている・・・」
    と言われました。さすが銃社会アメリカ・・・

    さて、そんなこんなで、アメリカにて秘孔を突かれたベロ
    見たにも関らず忙しかったのと帰国直前だったので、
    なんにもせずに日本に帰国してきたのでした。



    闘病日記そのU  病院へGO!


          さてさて、日本になんとか帰国しました。そして自分でもかなり
    おメメがやばい事がわかっていましたのでさっそく病院に行きました。
    まずは、病院選びです。全くもって眼科なんぞにはいったことがなかった
    ので、どこに行けば良いかわかりません。大学病院だけには行きたくない
    という思いはありました。なぜなら、知り合いで大学病院で働いている人
    が、「良くわからない場合は、全て風邪にする」と言っていたので、
    大事なおメメをそんな医者のいる病院には任せられんと思ったわけです。

    さて、そんなわけで、ちょっと大きめな札幌市立病院にいくことにしました。
    しかしその前にアメリカで撮った写真を現像しておこうと思いました。
    そこで、いつも現像に出している写真屋さんに行きました。
    そして、現像を頼み、店を出ると、目の前には

    ○○眼科

    の看板が・・・
    市立病院までは、1km以上あります。
    この眼科ならあと徒歩10秒です・・・・。
    「まっ いいっか・・・ 取り敢えず見てもらうってことで」
    と思い、さっきまではかなり悲壮感漂い、大きくて信頼できる病院へ
    と思っていたのに、ノリで街の眼科に入ってしまいました。

    まず、この眼科の入り口で、スリッパを履こうとすると、消毒済みと書いた
    紙で、スリッパが結ばれていたので

    「おぉ!もしかしたらちゃんとした病院なのかもしれない」

    と期待を抱かせました。
    そして、待合室は、お盆明け初日ということもあってか、100人以上
    の患者で大賑わいです。軽く100人はいます。そこでまた

    「こんだけ患者がくるんだから良い医者なのだろう」

    とさらに期待をもちました。

    そして、ロビーで僕も待ってました。この時、僕は昨日爆睡こいたことも
    あって視界は絶好調。病院来なくても良いんじゃない?ってくらいでした。
    しかし、ベロを見たことは事実なので、取り敢えずなんの知識もないままに

    「ものが緑色に見えるってことは、緑内障なのかなー・・・」

    なんて考えていました。そして、ふとロビーに張ってあるポスターを見ると
    「緑内障豆知識」みたいなことが、書いてあってそれを読んで行くと
    衝撃の一文が!!

    「緑内障は治りません」

    「・・・・・。」

    まだ緑内障と決まったわけではないのに、勝手に緑内障だと思いこみ
    治らないと書いてあるポスターを見て、
    マリアナ海溝くらい深いブルー
    に包み込まれていたのでした。

    なにやらそのポスターによると、現在のところ完治はしないらしく
    クスリなどで進行を防いで行くしかないようなことが書いてあった気が
    しますが、そのときは「治りません」の一文で頭が真っ白だったので
    良く覚えていません。

    さて、かなり長い事待たされて、検査が始まりました。何種類もの検査を
    しました。しかしこの時は、まぁ今は大丈夫なんだから疲労性で一過性の
    ものだったんだよと自分に言い聞かせていました。
    そして、全ての検査が終了して、診察室に呼ばれました。

    そして、このあと先生から思いもよらぬ発言が!!

    先生:「えーっと・・・大変言いにくいんだけども・・・・」

    や :「・・・・・。(緑内障なのかなー・・・)」

    先生:「網膜剥離です。」

    や :「えっ!?(完全に頭真っ白)」

    先生:「しかもかなり重症ですねー」

    や :「・・・・・・。(幽体離脱中)」

    先生:「しかも両目です。」

    や :「・・・・・。(あしたのジョー最終回状態)」

    これには大変驚きました。今、こう書いていても当時を思い出し
    指先が震えてきます。もの凄い衝撃でした。
    網膜剥離といえば、ボクサーがなるものだと持ってましたし
    僕は別になにか、殴られた記憶などは一切ありませんでした。

    しかも両目とは・・・・
    盲目になっちゃうんだろうか?
    もう一生サッカーできないんだろうか?
    ものすごく様々なことが頭の中をよぎって行きました・・・・
    や :「ちなみになんで、網膜剥離になったんですか?」

    先生:「えーこれまた大変言いにくいんだけど、生まれつきです。」

    や :「?」

    先生:「いやー10万人に1人くらいの割合でいるんだけど
        生まれつき網膜が弱くて、徐々にはがれていったんだよ。
        半年前くらいから、兆候はあったはずだよ。」


    や :「・・・(全く身に覚えなし)」

    先生:「というわけで出来るだけ早く手術するので入院して下さい。」

      というわけで入院することになりました。しかしアメリカから帰ってきた
    ばかりだったのでまだなんの準備もしてなかったので、一日だけ猶予を
    もらい、入院準備などをしに走りまわりました。

    学校に行き入院の報告をし、友達に電話しまくり、買い出しをし、
    ささやかな贅沢ということで、回転寿司を食べました。
    そして、大事な用件がまだ一件。親への報告です。

    この時、両親は母親の実家に帰省していました。そこで僕は、電話しました。
    しかし、ガーガーピピー とFAXの送信音みたいのがするだけで
    繋がりません。どうやら覚えていたのは、おばあちゃん家の
    FAXの番号だったらしいので、兄に連絡をしてその電話番号に
    FAXしてもらいました。



    これでよし!あとは病院に行くだけです。
    そして翌日から僕は、アメリカで男7人の研究合宿生活を終えた直後に
    男6人の病院入院生活を始める事になったのでした。
    そして、とれたと思っていた親への連絡のFAXの返事が兄の元に
    返ってきました。その文面は



    てなわけで、こんな状況になってまでナイスなボケをかまして
    てんやわんやで病院へGO!でした。




    闘病日記そのV 手術台へGO!