ラオスのバス


       ラオスには日本のODA(政府開発援助)により結構立派なバスが
走っています。韓国のHYUNDAIというメーカー製です。
僕は、このバスにラオスの首都ビエンチャンから4時間くらい走っ
た田舎の町のバンビエンという所まで乗りました。

そして、この街でのんびりしましていました。
(と言っても全体で10日間の短い旅行だったので、この街には
1泊2日しか出来ませんでしたが・・・。)

そして夜になり、街のバス停をみると、立派なバスが停まっていました。
これは、恐らく今日はここに停めておいて明日早朝にビエンチャンに
帰るのだろうと思っていました。

僕は「移動」は辛いので嫌いです。

だから、できるだけ楽に帰りたいと思いました。そこで明日早起きして
「この朝一の便で帰ろう」と思いました。ちなみに朝一の便は調べると
5:30発でした。次が6:30。
「一時間早起きして4時間楽できるならいいだろう」と思いました。
そして翌日。5:30前にバス停にいくと、まだ夜明け前で真っ暗なな
かで僕が見たものは・・・

フロントガラスに豪快なヒビが入り、お決まりのベンツのエンブレムを
掲げた、超ボロイバスでした・・・。


一体全体あのODAバスは夜中の内にどこに行ってしまったのでしょうか?
睡眠時間を削った代償は、このボロボロバスでした・・・。

何故毎回こうなるのだろう・・・。僕は自分の不運を呪いました。
何故毎回こうもネタが・・・。「楽」しようと思えば思うほど「楽」は逃げて
行って
しまい、辛くてもいいや と思えば、案の定というか想像以上に
辛く
なってしまう それが僕の運命なのでしょうか・・・

次の6:30のバスが立派なバスという保証は全くありません。
なので仕方なくこのバスにのることにしました。すると僕が乗る前から
米袋みたいのに入った野菜どもが大量に床という床を占拠しており足の
踏み場もありません。しょうがないのでその野菜を踏みながら席につきま
した。

過去の経験より、バスでは後部座席より前方の方が楽だ思っていたので
前方窓側に座りました。椅子はボロイですが、まー4時間なので爆睡し
てなんとかやり過ごそうと思っていました。

床が板バリで、穴だらけで路面が見えるなんて言うのは慣れっこです。
一応バスはベンツを掲げてるくせに内部には日本語の案内があり
50年製造 日野自動車 と書いてありました。
この50年というのが昭和ではなく西暦1950年なのではと思うほど
風化が進んでいました。

そしてバスは出発。

この時期は雨季なので結構雨が降っていました。また前日は物凄い雷雨
で道路はグシャグシャでした。でもバスの移動なので多少凸凹道で揺れ
るくらいだろうくらいに思っていました。

走り出してしばらく経ち、僕は心地よい睡魔に襲われて、ウトウトと
安楽の眠りの世界に落ちようとしていました。
すると、僕の足に冷たいものがビシャビシャとかかり、現実世界へ引き
戻されました。バスが雨漏りしているようでした・・・。

しかし冷静になって窓の外を観察すると、今は雨が降っていません・・・
不思議です。なにかの勘違いかな?と思い、気を取り直してまた寝ようと
思うとまたもや、水滴が・・・

一体なんなのでしょうか?不思議になって色々調べると、ふくらはぎが
豪快に濡れていて
、それ以外は濡れていません。

もし雨漏りなら、もも とか すね とかが濡れていても良いはずです。
僕の後の席から水でも倒れてひっかかったのか?と思いましたが、後は空
席でした。不思議です。なんで濡れているのでしょうか?

しかも恐らくこのバス内で一人だけ・・・

必死になって原因を探って僕が発見したものは!!

穴が豪快にあいてるタイヤの泥よけでした・・・。

そこから路面の水がタイヤに巻き上げられて、車内に侵入してきている
のでした・・・。床から雨漏り・・・

こんなことが実際に起きるのでしょうか?聞いたことありません。
そして何故僕の身に狙ったかのように降りかかるのでしょうか・・・・

それから僕は、路面が乾くまで2時間くらい加湿器にふくらはぎをさらして
居る状態で、水溜りを通り過ぎようものなら、ふくらはぎを豪快に泥水で洗
われていたのでした。

こんな中では安楽の眠りの世界は夢のまた夢・・・

しかし悲劇はこれだけでは終わりませんでした・・・

しばらく経って途中から乗ってきたタモリにそっくりの目がねをかけた
おっちゃんが僕の横に座りました。おっちゃんの方は下からの雨漏り
なく、おっちゃんは豪快に眠り始めたのでした・・・

おっちゃんは何やら右に傾く習性があるらしく、こっくりこっくりしなが
ら僕によりかかってきます。しかもやっと路面が乾いてきて僕もこっくり
こっくり気持ち良くなってきて、やや夢見心地でした。

すると僕は夢の中で、なにかに圧迫されて押しつぶされているような気分
を味わいました。なんだ?なんだ?って思い現実の世界に戻ってくると
僕の左の頬に隣のタモリの頭のオイリーなバーコードが圧しつけられてい
たのです・・・。

その場は僕がおっちゃんを引き離しました。おっちゃんも「おーすまんのー」
って感じで謝って来るのですが、その30秒後には即眠りの世界の住人に
なり、またもや寄りかかってくるのです・・・

僕も眠りたいのですが、おっちゃんを避けて僕も右に傾くと、震度5強で
揺れて今にも外れてしまいそうな窓
があり、そこに頭を持たれかけることは
ヘビメタの曲を子守唄にして眠れと言っているようなものです。無理です。

そんなこんなで、全てのことが裏目裏目にでて、
安眠夢の世界の住人になれず現実世界の住人にもなれず
バス内でただ一人マゾの世界の住人と化したラオスバスの旅でした。




世界のN○○○TA


        これは正確にはラオスではなくてタイで発見したのですが、まーラオスに
行った旅行の帰りに発見ってことで、ラオス編に掲載しました。

 アジアではサッカー人気がとても高く、どこにいってもサッカーの話に
なると、ナカータ!ナカータ! ナナーミ!ナナーミ!なんて言われたり
します。特にNAKATAに関しては、本当に皆良く知っています。
一番有名な日本人なのではないでしょうか?
そろそろインド人で、「俺はNAKATAのフレンドだ」っていう奴が登場
してもおかしくないような気がします。

そんなおり、僕が発見したのがこれ(↓)でした。

            ↓
            ↓
            ↓
            ↓
            ↓

世界初 のび太と中田の共演


NAKATA所属のローマのユニフォームの背中にデカデカと書いてある
NOBITAの文字・・・。
ドラえもんもアジアじゃ超有名ですもんねー・・・
しかし、なにものび太にサッカーさせなくても・・・

さすがのインド人も(何故かインド人を引用してしまいますが・・・)
「俺はのび太のフレンドだ」とは言わないでしょう。

そんなわけで世界のNOBITA の話でした。






ラオス入国前に・・・


        これはラオスに向けて出発した日の話です。その日は2000年
9月20日。まさにシドニーオリンピック真っ盛りで、サッカーの
日本 VS ブラジル がある日でした。

僕の出国は翌日の21日の朝10時成田発でした。その為に、前日
に一回札幌から実家(埼玉)に帰り、翌日成田に向かう予定でした。

僕は何を勘違いしたのか試合は日本時間の7時キックオフだと思っ
ていたので、3時半の飛行機で羽田に飛べば、実家でゆっくり試合
を見られると思っていました。僕が購入したチケットは、全○空、
札幌発バンコク着(国内移動を考えたら一番安かった)でした。

実際は試合は日本時間6時からだったので、3時半に乗ったのでは
実家で観戦は無理です。そこでオフィスに電話して時間を変更して
もらおうと思いました。

しかしこのチケットは国内便も格安航空券扱いでした。
ですので変更が効きませんでした。

電話口でかなり嫌な奴になって粘りましたがダメでした。仕様が無
く予定通りの飛行機に乗り、5時に羽田着。ここで僕は考えました。

空港で見ると、家に着くのが遅くなる。
明朝は早いのでそれは面倒くさい。


そこで、「帰り道の途中の新宿で見よう!」と思ったのです。

新宿なら町のどっかでやってるだろう。なんならアルタの大画面で
みられるんではないか?と。そして急いで、モノレール&山手線を
乗り継ぎ新宿へ。

しかし、6時を3分前になってまだ渋谷だったので
「渋谷の駅前にも大画面が3つもあるからどこかでやるベ。」
と思い渋谷で降りたのでした。しかーし!!

渋谷の駅前は、サッカーのサの字もどこへやらてな感じで、どこも
中継していませんでした・・・。

しかし、デパートや電気屋のテレビならやってるに違いない!!

僕は走りました。しかし!!
この日は水曜日。街中は軒並み無情の「定休日」・・・。

僕は愕然としました。一体どうすればいいいのだろう・・・。
その時頭の中によぎったのは、「NHK本社」!!
ここなら間違いなく見られるだろう!

そうして僕は再度暗がりの渋谷の外れを全速で走りだしました。
そしてやっとのことでNHKにつきました。しかしこれからが問題
です。NHKに着いたは良いものの、どこで見られるのでしょう?

取り敢えず、正面玄関みたいなところに行ったら、奥で中継をして
ました。しかし、軽く職員しか入れなさそうです。そんなところに
バックパック担いで、汗だくで息ぜーぜーの男が・・・

しかしどうしても見たい。僕は警備員に必死に頼みこみました。
絶対怪しいことしませんからー!!てな感じで。その必死な形相に
警備員もひるんだのか、なんとかOKが出て、僕はNHK本社の
中で観戦
することができたのです。

廻りを見渡すと、NHKの職員とおぼしき人、芸能人とおぼしき人
も一緒に見ています。兎に角、これで試合が見られると思ったのが
前半13分でした。そして既に1失点・・・。

まーしょうがない。残り73分頑張って応援するぞーと思いました。

しかし!!前半30分過ぎ・・・ 悪魔の宣告が!!

「はい。この入り口は6時半で閉めます。テレビも消しまーす。」

「そんなバカな!?ダッシュで来て、やっとありついたテレビ・・・。
まだ17分しか見ていないのにー!!」

なんて考える暇もなく、無情にもテレビは消され、僕はNHKを
追い出されてしまったのです・・・。これから一体どうしたら・・・

取り敢えず、今度は原宿へ向けて走り出しました。あても無く走り
ました。取り敢えず人ごみの方へ。原宿駅前についたとき、そこに
あさひ銀行があり、その中のテレビで中継をしているのを発見しま
した。そして閉店時間も9時と、サッカー終了までは余裕です。

僕は安住の地を見つけ、やっと落ち着いて観戦できました。しかし
渋谷からNHKそして原宿とダッシュしてきたその様は、かなり
異様なものがあり、周囲の人が僕から距離をとっている気がしました。

そんなことはさて置き、サッカーの方ですが、この銀行のテレビは
軽く音声がでず、無音で寂しく試合が流れて行くのでした・・・。

後半に入り、気が付くと、観客は30人ほどに膨れあがっていました。
そして、高校生風の人が持っていたウォークマンで音声を流しだした
のですが、音量を全開にしてもイヤホンから流れてくるのは、蚊の飛
ぶ様な音
だけでした。

するとその高校生の後輩らしき人が
「俺スピーカー買って来ます!」
といって出て行き、3分ぐらいでスピーカーをどこからかゲットして
きたのです。かなりのファインプレーです。

そうして、音声付きでゆっくり観戦でき、決勝トーナメント進出も決
まりめでたしめでたしなのでした。

しかし旅行前日から、こんなにドタバタしてしまうとは、翌日からの
旅行にかなり不安を感じずにはいられませんでした。
そして案の定、旅行ではその不安が的中してしまうのでした。

(その話は次回、ラオスに入国前に・・・その2で) 


ラオス入国前に・・・その2


        僕の今回のラオス旅行は全部で10日間でした。
今までこのような短い自由旅行をしたことがなく、なんか
トラブルがあったら挽回できないなーとちょいと不安でした。

そして、旅行前日の国内でのあのどたばたっぷり・・・。
嫌なものを感じました。

ちなみに、今回ラオスを選んだ理由は2つ。

1.10日間なのでインドネシアに行こうとしたが
  ラオスの方が行きにくいので学生の内にいっておこう!


2.ラオスを制覇したらインドシナ半島の全部の国制覇。

以上の2点から僕はラオスを選んだのでした。そして次は
ラオスのどこへ行くかの決定です。元々上記のような理由
で選んだので、どこへ行きたい!ってのがありませんでした。

ネットで調べたらラオス南部に「東南アジア最大の滝」
「ラオスで一番有名なアンコール遺跡」があると分かったので
その二つを見に行くことに決めました。

次に旅行ルートの問題です。これまたネットで調べたところ
ラオスの公式サイトによるとタイの東部からラオスの南部へ
入れて、「国境でもビザが取得できる」と書いてありました。

というわけで、僕の旅の予定は

(1)タイ到着→夜行電車でタイの東部へ→バスで国境まで行き

(2)国境でビザ取得してラオス南部へ→ラオス南部に一週間ほど

(3)帰りにタイ東部のアンコール遺跡をみて→バンコクへ帰る

てな感じでした。ちなみに(3)が僕の中でハイライトでした。

そして旅が始まり(1)は軽く予定通りクリアしました。
そしてタイーラオス国境まで行き、町を散策しながら歩いていた
ら、知らぬ間にラオスに入国しちゃってました。

タイの出国イミグ&レラオスの入国イミグレ両方無視してました。
「これはまずい、タイを出国してラオスの入国手続きしよう」
と、僕は引き返しました。今思うとここで引き返さなければ・・・

さて引き返してタイの出国手続きをしようとしたら、係官から

「おまえラオビザないじゃん。出国できないよ」

って衝撃の発言が!

そんなバカなラオス公式サイトで確認してきたのに!情報がまだ
ここまで来ていないのだろうと思い、まずラオスイミグレにいって
ビザをもらって来てから、タイの出国をしようと思いました。

そしてラオスイミグレに行きました。すると係官が

「おまえラオビザないじゃん。入れないよ。帰れ。」

と衝撃の発言(その2)が!!!
全くもって予想外の展開になってまいりました。僕は、粘りました。
公式ホームページのことや出入国箇所限定ビザでもいいから!など
3時間近く粘りましたが、全くだめでした・・・。

あのラオス公式サイトは一体なんなのでしょうか・・・?
途中からこれまた公式サイトにだまされたオランダ人夫婦もやってき
まして、3人とも追い返されてしまいました・・・

困りました・・・。
僕は、元々ラオス南部とタイ東部の遺跡のみ行く予定だったので
今回は、ガイドブックを買わずに、ネットでラオス南部の情報のみ
を印刷してもってきていたのでした。
それが初日にして軽くゴミと化しました・・・

どうしよう・・・。迷います。ラオスには行きたいが、ここから
入れないとなると、どこへいっていいかもわからないし、行きたい
ところもない・・・

オランダ人夫婦は諦めて今日中に北上するといってるけど、僕は
タイ東部のアンコール遺跡は絶対みたい!と思い、僕は基点となる
ウボンラチャタニという国境から100kmほど戻ってきた町に
泊まることにしました。

しかしどこへ行ってよいのやら・・・。人に聞いたりして、安宿を
発見し泊まることにしました。しかし地元民に聞いたので、旅行者
らしき宿泊客は全く見かけません。これでは旅の情報をゲットでき
ません。困りました・・・。兎に角、明日は旅の最後のクライマッ
クスにもって来るはずだったカオプラウィハーンに行ったる!!
と心に固く誓い、一人寂しく寝たのでした。

そして翌日、ヘロヘロなタイ語を駆使してカオプラウィハーンに
行ってきました。最高でした。

余裕そうに見えて実はびびってる
カオプラウィハーン頂上の眺め(650mの断崖絶壁)


しかしこれからが問題です。今後僕はどこへ行けば良いのでしょう・・・

ラオスに行くといってもどこからどういけば良いのやら・・・
兎に角、ラオスの首都ビエンチャンに行く国境ではビザがとれると
聞いていたので、そこへ向かうことにしました。しかしこのタイの
東部の町からダイレクトで国境にいくバスや電車などはなく、地元
民に教えられるがままバスなどを乗り継ぎ乗り継ぎ北上していった
のでした。

そして10時間後・・・国境へ到着。
しかしまだ不安がありました。ラオスに入ってもビエンチャンまで
どうやっていいのかわかりませんし、行ってもどこへ泊まったら
良いのかもわかりません。せめて地図だけでも欲しい・・・

なんて考えながらも止まっていても無駄なので、とりあえずタイを
出国しました。するとイミグレのところで大きなビニールを沢山も
った日本人らしき人がいました。大変そうだったので半分もってあ
げました。本心は人の心配してるどころじゃないのですが・・・

とりあえず、タイからラオスに入るにはメコン川にかかる橋をバス
に乗って越えなければならず、その人と一緒にバスに乗りメコンを
越えました。そして僕はラオイミグレでビザを無事取得しました。
すると、さっき荷物をもってあげて日本人の人が
「パスポートを落とした!!」と言って
「探してくるから荷物見ておいてくれる?」と言って
パスポートを探しにタイ側に戻っていってしまいました・・・。

どうしましょう・・・
バスの中で話を聞いた所によると、ラオスで駐在員として働いて
いるとのことでした。見た目もそんな感じでしたし、怪しいと雰囲気
ではなかったので、僕はその人を待っていることにしました。

見ている荷物も普通の生活雑貨ですし、変なことに巻き込まれない
だろうと思ったからです。しかし本心では、今後ラオスに入って
どうしていけばいいんだろう・・・と不安いっぱいでした。

今だに旅行者にあっていません。昨日いった遺跡でも全然旅行者いま
せんでしたし、初めてあった日本人はパスポートなくしちゃってるし
どうなってしまうんでしょう・・・

そんなこんなでボーッと国境で待っていたら、タイ側から日本人
バックパッカー
が来ました!!
これでこの人に地図を見せてもらい、安宿を教えてもらえば
あとは何とかなる!!
と思いました。そんな風に思っていたら向こうから話かけてきました。

旅人「こんにちはー。今からビエンチャンですか?」
や 「ハイ!」

旅人「で、今ビザ待ちですか?」
や 「いや・・・。実はパスポート落とした人待ちです。」

と言った瞬間に、彼の表情がこわばったのが見て取れました。

や 「あの、申し訳ないんですが、ガイドブックみせてもらえます?
   僕、ガイドブックなくて、どこに泊まったらいいかも
   分からないんですよねー・・・」

旅人「いや、ダメです。僕急いでますんで!!」

や 「あのちょっとでいいんで。宿名だけわかればいいんで」
旅人「ダメです。それでは!」

や 「あの、あなたの泊まらない宿でいいんで教えて下さい!」
旅人「いや!ダメです。まじで急いでいるんで・・・」

や 「俺怪しくないっすよー。大丈夫っすよー。」
旅人「・・・。(完全無視)」

そうして彼は足早に過ぎ去っていってしまいました・・・。
どこの誰がどんな理由で、こんなラオスの国境で、人にガイド
ブックを見せられないくらい急ぐのでしょうか・・・

しかしこの時、自分で「怪しくないっすー」と言う奴ほど怪しいもん
はないなぁと痛感しました。もう何を言ってもダメでしょう・・・
言えばいうほどむなしくなっていきました・・・怪しくないっスよーぉぉぉおお

僕も逆の立場だったら彼と同じ行動をとったかもしれません。
会って2、3分の人がパスポートをなくしたのでその人の荷物番を
イミグレでしてるなんて変な話です・・・

そしてそんな奴が宿教えて下さいなんて話かけてきたら・・・。

そんな訳でラオス入国を前にして、ラオス公式サイトに騙され
同胞旅行者からも怪しまれ逃げられ、ガイドブックのガの字もない
まま大量の生活雑貨を前に・・・
唯々、ぼーぜんと国境に立ち尽くしていたのでした・・・






ちなみにその後、パスポートは無事発見され、この人が運転手付きの
車で国境まで来ていたので、それに同乗させてもらい、ビエンチャン
まで行きました。しかもガイドブックを持っていたので、コピーさせ
てもらい、一泊2$の安宿の前に横付けしてもらったのでした。
おそらく、こんな宿に泊まる奴で、運転手付きの車で店の前に横付けし
た奴は僕が最初で最後なのではないでしょうか・・・

てなわけで、紆余曲折の末、めでたくラオスに入れたのでした。