怒涛の闘病編です。

「何の?」

10万人に一人くらいの割合でいるという

先天性?進行性?網膜剥離です。
こんなところで要らない運を使ってしまいました・・・。

    
  • (00/7/2更新)闘病日記そのT ベロを見た男
  • (00/7/3更新)闘病日記そのU 病院へGO!
  • (00/7/4更新)闘病日記そのV 手術台へGO!
  • (00/7/5更新)闘病日記そのW お見舞いへGO!
  • (00/7/7更新)闘病日記そのX 手術台へGO!2
  • (00/7/11更新)闘病日記そのY 早すぎる退院の真相
  • (00/7/13更新)闘病日記最終話 その後・・・





  • 闘病日記そのV  手術台へGO!


          さて、網膜剥離と判明してからは、起きたら見えなくなってるのでは・・・
    と寝るのが一層怖くなり、自称小心者の僕は中々寝つけませんでした。
    しかし良く考えたら、時差(+14時間)の関係で昼夜が逆転しているだけ
    でした。そのことが判明するのはもうちょいあとなのですが・・・・

    さて、午前中に本やCDなど娯楽グッズを満載したバックをもって病院へ。
    そして、そのまま病室へ。病室には6つベットがあって、僕の次に若いのは
    50歳くらいのおじさんでした。網膜剥離での入院なんてのは少数で殆どが
    白内障での入院でした。ちなみに白内障の手術は15分くらいで終わり、
    その日に帰る事も可能だそうです。目のレンズを取り替えちゃうそうです。

    さてさて手術は午後からなので病室の皆さんと歓談していました。
    するとこの眼科は北海道では超有名なお医者さんであることが判明しました。
    遠く稚内から飛行機で入院しにきた人などがいました。まだ白内障の人は、
    沢山いるので入院待ちの人が沢山いるようでした。そんななか僕は、全くそん
    なことは露知らず、写真屋の隣にあったという理由だけでこの眼科に来てしま
    ったのでした。この病院選びの話は、患者さんの間で軽く広まり、その後

    「あんた、ラッキーだよ!」

    といろんな人に言われて、初めて自分の運のよさに感謝したのでした。
    ちなみに、両目網膜剥離でしたが、今日は視界のない左目を。
    次週、実は左よりも剥がれ方のひどい右目を。ということになってました。

    さて、お昼過ぎに看護婦さんが来て、僕に手術の時間を告げました。

    看護婦:「時間は、大体3時20分頃からです。
         えー順番は、10番目です。


    や  :「えっ? 十番目ですか?」

    看護婦:「そうですね。そう書いてあります。白内障の患者さんが9人」

    や  :「それって一人の先生が手術するんですか?」

    看護婦:「そうですよ」

    や  :「・・・。(10番目って疲れてて集中とか切れてるんじゃ・・・)」

    と、こんなやり取りがあり、自称小心者の僕はかなり不安を覚えていました。
    さて、刻々と時間が過ぎていき、手術の時間が迫ってきました。

    僕は、手術室へ移動するベットに乗せられて、手術室へ。この頃になると
    とても不安なわりに、体がぽわ〜んとしてきました。さてさて、しばし
    その状態で待たされた後、手術台へ。

    目の手術をするわけですから、当然目を閉じる事は出来ません。
    しかも目の局所麻酔ですから、麻酔で眠るわけにもいきません。
    そして手術スタート!!

    最初は、目薬みたいなものを何回か入れられました。
    なにせ、目が開いていてるのですべて作業が見られます。
    そして遂に来ました!!

    先生:「メス!」
    助手:「ハイ!」

    そして、僕の目にメスが!!
    それがまた、何度も言いますが、目が開いているわけですから,すべて見えて
    しまうのです。メスを持った先生の手が近づいてきて、遂には僕の目に・・・

    閉じたくても閉じられませんし、白目剥いて目をそらそうにも、そんなことし
    たら、手術できないので、それもできません。

    コンタクトをいれる時に指を目にもってきますが、その指に刃物がついている
    わけですから、ただごとではありません。自称小心者の僕にとっては物凄い
    恐怖です。

    しかしすっかり、まな板の鯉状態手術台の野人には抗うすべはなく、メスは
    僕の眼球を捕らえたのでした。
    そして、チョクチョクと切ってる音がします・・・
    大変嫌な音です。

    しかしこうなると、あまりに目に接近し過ぎているので全く何をしているのか
    見えません。ていうか黒目の横切っているので見えるわけないのですが・・・

    しかし、まだまだ僕は緊張してました。しかし、先生と助手は

    先生:「そういえば、結婚式の招待状きた〜?」

    助手:「えぇ来ました。」

    先生:「あれいくの面倒くさいよねー」

    助手:「そうですよねー」

    なんて井戸端会議ならぬ手術台端会議をかましながら、しっかり手は僕の目を
    切り刻んでいってるのです。

    や: 「・・・・・!!(心の叫び:頼む!まじめにやってくれー!!)」

    しかし、そんな状況が30分も続くとすっかりこっちも慣れてきて、しかも
    手術前からぽわ〜んとしてたのがまたぶり返してきて、麻酔も効いてないのに
    手術されながら、「痛い!」の一言も発せず、
    目を開けたまま爆睡してしまったのでした。

    時間は午後4時過ぎ・・・2日前までいたイリノイ州では、夜2時過ぎ・・・
    単なる時差ぼけによる就寝タイムでした。昨夜、不安で寝られないと自分で
    思っていたのは、単なる時差ぼけで寝られないだけであって、眠い時は
    大げさに言えば、自分の人生がかかってる手術の最中にも爆睡こいちゃう
    自称小心者でした・・・




    闘病日記そのW  お見舞いへGO!


          さてさて手術(左目)も無事終了したらしく、病室にもどってきました。
    当日は、意識がもうろうとして何をしゃべったか、なにをしてたか覚えて
    ませんが、まぁ多分おとなしくベットにはいつくばっていたことでしょう。

    さて翌日から僕は持ってきた本やマンガなどを読もうと思っていたのですが
    さすがに目の手術をしたあとなので、例え左目に眼帯をしていて、右目しか
    使わなくても、本を読むような目の往復運動は悪影響があるらしく禁止令
    だされてしまいました。友達に持ってきてもらったマンガ30巻ほどは軽く
    浮世の夢と化しました。

    また、久しぶりに日本のテレビを見ようと思っていたのですが、当然のこと
    ながらこれまた、目に悪影響があるので、禁止令・・・ 

    ということで、何も暇をつぶすものがなくなりました。取り敢えず、目を使
    うものは、全てダメなのです。この時、如何に人間が目に頼って生活してい
    るかを実感しました。

    そんなわけで、この日から僕の、なにもすることない入院生活が本格的にス
    タートしたのでした。

    朝起きてから朝ご飯まで、瞑想
    朝ご飯終わってから昼ご飯まで瞑想
    昼ご飯終わってから夕ご飯まで瞑想
    夕ご飯終わってから就寝まで瞑想

    このまま行けば悟りが啓けそうな生活です。
    (もしとてつもなく暇でしょうがない時に目を使わずに一日過ごそうと
    試みて下さい。これと同じような生活になると思います。)


    しかし、そんな瞑想生活を回避してくれたのがお見舞いです。
    夏休みだった事もあり、皆さんかなり来て頂いて、毎日とても楽しくすご
    させてもらいました。この眼科には、お見舞いに来てくれた人と話す部屋
    みたいのがなかったので、廊下においてある、長机と長椅子で話ていたの
    ですが、お菓子にジュースにゲームがあって、男3女3みたいな感じな
    ことが多かったので、ジュースがお酒に代わればそのまま合コンって感じ
    でした。

    しかし、このお見舞い合コンが後々僕の入院生活を良くも悪くも大きく
    左右するなんてことは、この時は全く予想だにせず、毎日、お見舞いに来
    てくれた人たちとおしゃべりしまくっていたのでした。

    また、同室の患者さんたちもみんな良い人で、お見舞い客が来ていない時
    は、部屋で色々おしゃべりしていました。その中には、なんと!
    森鴎外の孫にあたる方もいたりして
    訳もなくありがたみを感じて、拝んでしまいそうでした。

    そんなこんなで、多種多様に渡る年齢職業の方と話をすることができ、入院して
    いるからこそ聞ける話などが沢山あって、とても良い経験になりました。

    そんなわけで、今回は特に面白い話もなく、お見舞いに来ていただいた方
    11日間で、のべ58人の皆さんに心より感謝して次に続かせて頂きます。




    →闘病日記そのX 手術台へGO!2